始めて良かった習慣

【名古屋七福神めぐり 2024年版】1月3日の参拝状況と新たに気付いた発見!

我が家では2年目の名古屋七福神めぐりとなります。

2023年の名古屋七福神めぐりについては上記を参考にしてください。

今年のめぐる順番、昨年と違っていたこと等、気が付いたことをまとめました。

【なごや七福神めぐり】の公式ホームページは下記となります。

【恵比寿】えびす
【辯才天】べんざいてん
【布袋尊】ほていそん
【毘沙門天】びしゃもんてん
【福禄寿】ふくろくじゅ
【大黒天】だいこくてん
【寿老人】じゅろうじん

2024年は1月3日にめぐりました。

正月の三が日ということで相当の混雑を予想していましたが、やはり駐車場の混雑・参拝者の数は多く、通常の2倍程度掛かりました。

2024年1月3日寅の日、友引、天恩日と日柄が良く、七福神めぐりに良い日となりました。

今年は特に寅の日ということで、毘沙門天が祀られている中区 袋町お聖天 福生院を最後として、満願しました。

【寿老人】 昭和区 八事山 興正寺

1月3日ということで本堂まで行列ができてます。

山門から本堂まで1時間程度かかりました。

屋根の上には見たことのない瓦がありました。

人魚の様な?

本堂までの少しづつ進みながら、今まで気が付かなかった「縁結びのなで石」「龍の手水舎」

参拝後には、「鐘つき塔」があることに気が付き、階段を上って向かいます。

家族で力いっぱい鐘を鳴らして、今年の開運を祈願しました。

御朱印をいただく場所が去年と違う場所になっていました。

年により、いろいろと場所が変わるのですね。

納経所で御朱印をいただき、帰ろうとしたとき駐車券を通す機械を発見しました。

駐車場が無料となりますので、時間に余裕がある方は納経所へ寄って、駐車券を通すことをお勧めします。

【恵比寿】 南区 笠寺観音 笠覆寺

笠寺観音の歴史

【開基】

呼続の浜辺に流れ着いた霊木が夜な夜な不思議な光を放ち、見る人は恐れをなした。

近くに住んでいた禅光(善光)上人は夢のお告げを受け、その霊木を彫らせて十一面観音菩薩の像を造り、堂を建て、そこに観音様をおさめ、寺号を「天林山 小松寺」とした。

【観音様と玉照姫】

その後、約200年の歳月が流れ、小松寺は荒れ、お堂は崩壊し、観音様は雨風にさらされたままになってしまった。

ここに一人の娘がいた。

彼女は鳴海長者・太郎成高の家に仕えており、その器量を妬まれてか、雨の日も風の日も、ひどくこき使われる日々を送っていた。

ある雨の日、雨露に濡れる観音様の姿を見て気の毒に感じ、自分がかぶっていた笠をとり、観音様にかぶせたのであった。

その縁か後日、関白・藤原基経公の息子、中将・藤原兼平公が下向のおり、長者の家に泊まった際にその娘をみそめ、自分の妻として迎えるようにと決心した。

苦境を救われ兼平公の妻となった彼女は「玉照姫」と呼ばれることとなった。

この観音様によって結ばれた玉照姫・兼平公ご夫妻は、延長八年(930)、この地に大いなる寺を建て、観音様を奉安し、寺号を小松寺から「笠覆寺」(りゅうふくじ)に改めた。

この寺号が「笠寺」の名の由来である。

以来、現在に至るまで笠覆寺は「笠寺観音」の通称で親しまれ、厄除けや縁結びの観音様として、多くの人々の信仰を集めることとなる。

【辯才天】 港区 多加良浦 辯天寺

三大弁才天の一つである竹生島の名古屋別院に指定されています。

竹生島については下記を参考にしてください。

【大黒天】 中川区 如意山 宝珠院

【布袋尊】 中区 大須観音 宝生院

【大須観音略縁起】

当時は、もと尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にありました。

御開山は能信上人です。

元享四年(1324)後醍醐天皇は、勅願を下したまい長岡庄に北野天満宮を御造営になりました。

天皇は能信上人に深く御帰依になり元弘三年(1333)上人をその別当職に補し、「北野山真福寺賓生院」という寺号をたまわりました。

能信上人は当時の開創にあたり、伊勢大神宮に百ヶ日間おこもりになり、「この世の人々が、おすくいをうけ、おめぐみいたできますには、どなたさまをおまつりいたしたらよいでしょうか」と一心不乱においのりになりました。

上人の誠は神に通じ、ある夕べの霊夢に、「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人々に、もっともありがたいお方である」とのお告げをえられそのうえ観世音の貴いお姿を拝されたのであります。

そのお姿は、むかし弘法大師が一刀三礼御彫像あそばれた摂州四天王寺の大慈大悲の観世音菩薩に寸分たがわぬ御尊影でありました。

霊夢のふしぎは、後村上天皇の御代にいたり朝廷にたっし、みことのりによって、当寺に移され、ご本尊と仰ぐこととなったのであります。

それからのち、霊験はまことにあらたかなものがありました。

後村上天皇も厚く上人に御帰依になり、伽藍を建立し、田地をたまい、末長く「勅願寺となす」とのありがいたいみことのりを下されました。

能信上人は、学徳ともに高いお方で、当寺の所蔵する書物は、東西の学者が珍重しているところですが、それらの多くは、上人がお集めになったものです。

さらに上人はすべての人々から尊信をうけ、ある時には神宮の巫女が、僧伽梨衣というおけさを大神のおさずけとして持ち来り、またある時には、神人が鬼面を持って来て「この面は観世音垂跡の夜叉面ゆえに、加持を加え、諸人の禍をのぞき、福をさずけよ」と申したと伝えております。

そしてこれらは寺宝となって伝わっています。

ご本尊の霊験は年とともに海内にひびきわたり、第二代住職は信瑜法親王がおつぎになり、寺領も一万余石におよび、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六カ国の真言宗寺院を末寺としました。

そののち戦国の世となりましたが、徳川家康公に至っては、名古屋を建設経営するにあたり、慶長十七年、まず第一に、いまのこの地にうつされたのであります。

はたせるかな霊験日に日に新に、善男善女の参詣きびすを接し、市の一大中心として繁栄し、「大須観音」と俗称され、真言宗智山派別格本山として今日に至っているのであります。

【北野天満宮】については下記を参照ください。

今年は納経所が外のセブンイレブンの向かいの建物で行っていました。

【福禄寿】 中区 成田山 萬福院

【毘沙門天】 中区 袋町お聖天 福生院

名古屋七福神めぐり2023年との違いについて

料金改定について

2024年4月より料金改定の知らせが配られました。

4月以降、大色紙(1800円)は500円以上の値上げとなるそうです。

満願記念の限定配布置物について

今年の干支(辰)の置物は緑色をした龍でした。

2024年の我が家の抱負を大色紙の裏側に、四字熟語で書いていただきました。

【龍翰鳳翼】りゅうかんほうよく

優れた才能のことを表した四字熟語です。

龍の羽りゅうのはね鳳凰の翼ほうおうのつばさのことで、それぞれが持つ特徴・優れた能力を表しています。

今年の我が家の目標は

「それぞれの人が自分の特技・特徴を見つけ、その優れた才能を上手く活かせる様に、成長していきましょうという思いを込めました。」

皆様の人生がより良くなりますように!