家庭に良いこと

【龍神三社巡り】みちびきの神「猿田彦大神」で有名な椿大神社を参拝

伊勢一之宮椿大神社つばきおおかみやしろは「開運みちびきの神」である猿田彦大神さるたひこおおかみを祀る全国二千余社の総本宮です。

「良い方向へ導かれていく」という願いを込めて、参拝する方が多いのです。

また、天之鈿女命あめのうずめのみことが別宮で祀られていることより、縁結び、夫婦円満を祈願する方で賑わいます。

「かなえ滝」は全国的に有名で、撮った写真をスマホの待ち受け画面にすると願いが叶うとか・・・?

そんな見どころ満載の神社である椿大神社には龍神様でも有名で「龍神三社巡り」ができます。

今回、特に龍神三社巡りりゅうじんさんしゃめぐりについてまとめています。

龍神様に興味のある方は、ぜひ三重県鈴鹿市に鎮座する椿大神社を参拝してみてください。

また、鈴鹿方面へ行かれた際に、寄ってみたい四日市市にあるお店熊猫飯店くまねこはんてんを紹介します。

参拝後の昼食に行ってみてはどうでしょう。

行列が絶えないお店なので、1時間程度の待ちがあります。

全国で有名な日本三大龍穴については下記を参照ください。

名古屋の龍にまつわる神社については下記を参照ください。

椿大神社の境内に三カ所の龍神神社が鎮座しています。

椿大神社は風水でいう龍穴に位置しています。

まさに、椿大神社がパワースポットとなっているのです。

龍神三社について

1.庚龍神社かのえりゅうじんしゃ

2.椿立雲龍神社つばきたちくもりゅうじんじゃ

3.龍蛇神両地神社りゅうじゃじんりょうちじんじゃ

龍神様の偉大なるパワーを頂き、良い方向へ導いて頂きましょう。

三社を順番に解説します。

駐車場から鳥居をくぐってすぐのところに鎮座しています。

御祭神:金龍龍神・白龍龍神・黒龍龍神

御由緒

この龍神社は、樹齢四百年と伝えられる樅(もみ)の木に龍神が宿り神域全般を守り給ったとの伝承がある。

昭和五十五年(庚申)五月、名古屋第八支部・黒金椿会本支部長、宮崎清三郎翁により御社殿が奉献鎮座され、其の年の干支に因んで庚龍神と命名されました。

以来、永き雨風雪により老朽したところ、此の度濃飛支部・藤原椿会の長江鈴夫・伸朗親子により新社殿が奉献され鎮座いたしました。 

平成十六年(甲甲)三月

椿立雲龍神社つばきたちくもりゅうじんじゃ

行満堂神霊殿・松下幸之助社のすぐ隣に鎮座しています。

御祭神:立雲龍神たちくもりゅうじん

この神社は、高座結御子神社たかくらむすびみこじんじゃの由縁をもつ、御井社で祀られており、「高座の井戸のぞき」に因まれた龍神で、子育ての神虫封じの神腫れ物除去の神として崇められています。

神社の手前の木の根がまるで龍のようにうねっています。

龍蛇神両地神社りゅうじゃじんりょうちじんじゃ

椿大神社別宮「天之鈿女命本宮」の横にあるかなえ滝の奥に鎮座しています。

御祭神:龍蛇神りゅうじゃしん

龍蛇神とは、大国主大神さまの御使神で、出雲地方に由緒があり、十月の「神在月」に吹く強風によって「神々の先導役」として「稲佐の浜」に漂着するセグロウミヘビのことで、その姿が神の使いであることから「龍蛇神」として篤く信仰されている。

水に住む「龍」の信仰からは火難除け水難除けの守護。

地に住む「蛇」の信仰からは土地の災難除けの守護神と仰がれ、更には財運・身体堅固に霊験あらたかとされる。

又、両地とは地の働きを司る猿田彦大神(椿大明神)であり、全ての物は天の氣を浴びて活躍する。

この行動が「生」「死」と「再生」を司っている。

椿大神社つばきおおかみやしろについて

伊勢国一の宮 猿田彦大本宮

椿大神社

主祭神:猿田彦大神さるたひこおおかみ

相殿神:皇孫 瓊瓊杵尊ににぎのみこと

    御母 栲幡千々姫命たくはたちぢひめのみこと

前座:行満大明神ぎょうまんだいみょうじん

当神社は、高山・入道ヶ嶽と短山・椿ヶ岳を天然の社とした猿田彦大神が、安住地であった太古の磐座から御船磐座(現地上)に居を移し、以来この神域を大霊場として人々を守り導かれる地祇(ちぎ)・猿田彦大本宮です。

御創建は第十二代・垂仁天皇御代二十七年秋八月(紀元前三年)、倭姫命の御神託により、道別(御みちびき)の社として斎い祀られました。全国の猿田彦大神の総本宮です。

猿田彦大神(別名・椿大神)は、天皇陛下の御先祖瓊瓊杵尊が地上に降臨されるに当たり、天の八衢(やちまた)(分岐点)迄お迎えに上られ、九州に御先導されたことから、「みちびきの祖神」であり、「祓えの祖神」であります。

御神徳は、この地上で生きるために必要な衣食住を始め、家屋敷を守り、祓い清めて安住することの出来る生活の導きも、すべて椿大明神・猿田彦大神の守導によるものであります。

椿大神社別宮つばきおおかみやしろ べつぐうについて

延喜式内椿岸神社由来

椿大神社別宮 天之鈿女命本宮

主祭神:天之鈿女命あめのうずめのみこと

相殿:太玉命

   天之児屋根命

当社の主祭神天之鈿女命は天の岩戸開きの神話の中で御活躍された神様として知られ、天孫(天照大神の御孫)瓊瓊杵尊が日本国土に天降り給う時共奉し、天孫一行を天之八衢(やちまた)と共に日向の高千穂峯に導き、我が国肇国の基を築かれた神様であります。

その後、猿田彦大神と夫婦の契を結ばれ、相共に此の伊勢国、鈴鹿椿ヶ嶽高山短山の霊地の里にお帰りになり、猿田彦大神の妻神、椿岸大明神として鎮祭され、今日に至っております。

鎮魂の神、芸能の祖神として其の霊働は脈々と輝き、芸能を始め茶道、華道、書道とあらゆる技招ぎの向上、また縁結び、夫婦円満の御守導、霊験あらたかで古来より信仰されております。

当社に伝わる「椿岸神社縁起」によれば、この別宮を猿田彦大神を祀る本社「上椿社」に対し「下椿社」と称し垂仁天皇の御代二十七年本社御創建と共に奉斎された延喜式内の古社であります。

秋の例大祭には本社より神輿(猿田彦大神)の渡御(神幸祭)があり、鈿女本宮に御旅をされ、翌日には還御(還幸祭)が行われます。

当社には聖武天皇勅願による日本最古の獅子神御祈祷神事(獅子舞)が伝承され、神面は猿田彦大神、獅子頭は天之鈿女命の化身として、三年に一度各地を巡舞し奈良朝以来千三百年の伝統を今に伝えております。

この神事は地元氏子神役により神謹奉仕致しております。(県無形文化財)

伊勢国一之宮椿大神社

神世相伝 山本神主記

夫婦輪石】(めおとわいし)

夫婦の幸せを守る明るい家づくりの輪です。

念願を込めて、この輪を両手で撫でながら祓い給へはらいたまへ 清め給へきよめたまへ 六根清浄ろっこんしょうじょうと三度唱えてお祈り下さい。

家庭は明るく円満に導かれます。

招福の玉】(しょうふくのたま)

幸せは日々の感謝の心を持って自分の使命を邁進するとき喜びが訪れます。

縁結び、夫婦円満、招福みちびきの玉としてこの玉を三回撫でながら祓え給へはらえたまへ清め給へきよめたまへ六根清浄ろっこんしょうじょうと三度唱えてお祈り下さい。

心の中に幸せを招き念願が叶えられます。

扇塚】(おうぎづか)

儀式・舞などに用いる扇は、古来、神を招ぎ奉るものとして芸道を志す者の心の寄り処とされ、一段と芸を磨く上達の過程には必携のものであります。

芸の道に終わり無き如く、扇に感謝と慰霊を込めて此の扇塚は建立されました。

芸の道に御精進されます方々、常に新たな気分で芸の修行・稽古に励み、古くなった扇は感謝を込めて此処に納め、新しい扇にて芸道の祖神天之鈿女命の神智霊能を戴(いただ)かれて更なる末広の上達を乞い願って御参拝下さい。

摂社せっしゃ末社まっしゃについて

縣主神社あがたぬしじんじゃ(椿大神社摂社)

縣主神社あがたぬしじんじゃ(椿大神社摂社)

御祭神:倭建命やまとたけるのみこと

    建貝児王たけかいこのみこ

縣主神社は、「延喜式」に見える鈴鹿群十九座の一つで、川崎村<現亀山市川崎町>に鎮座し、俗に縣大明神と称され鎮守社として親しまれていた。

ところが、内務省が一町村一社を目標に行った小祠整理により、明治四十一年、能褒野神社(のぼのじんじゃ)に配祀され、下って平成十年十月十日、「椿護国神社」南隣を鎮座の大地と選び定め、椿大神社の摂社「縣神社」として遷座された。

当地鎮座の由来には、先祖代々の行輝宮司の出身地が川崎村であることと篤志家による誠実無私の奉斎運動が挙げられる。

御祭神の倭建命(日本武尊)は、人皇第十二代・景行天皇の皇子で、西に熊曽健、出雲健などの諸賊を討ち、東に蝦夷(えみし)を平定された。のち、伊吹山に賊ありと聞き、これを討たんと向かわれたが、御病を得て伊勢国・能褒野に薨去(こうきょ)せられた。

建貝児王はその御子であり讃岐の綾君の祖である。

古代日本において東西に活躍、国家を安定ならしめた倭建命は、方災解除、病魔退散、国家・社会・家庭安泰の御神徳を御発揚なされた。

また、女装として熊曽建を誅した如く、頭脳・知恵の神様でもある。

椿護国神社つばきごこくじんじゃ

椿護国神社

日清・日露戦争、支那事変大東亜戦争の戦役に出征し国難に殉じた、氏子中(山本町・大久保町・小社町・椿一宮町・山本新田神野)の英霊を奉斎しております。

慰霊大祭 四月十三日

松下幸之助社まつしたこうのすけしゃ(椿大神社末社)

松下幸之助社(椿大神社末社)

御祭神松下幸之助命まつしたこうのすけのみこと

生前から「経営の神様」と神格化されるまでに経営手腕を称賛された松下電器産業株式会社の創始者・松下幸之助翁は平成元年四月二十七日、昭和の大御代の終焉に合わせるかのように、惜しまれつつも九十五歳の御齢(みよわい)をこの世の限りと大往生を遂げられた。

松下翁は希代の発想家であると共に熱心な敬神家・篤信家でもあり、椿大神社にも、昭和四十一年から幾度も参拝を重ねられた。

殊に同年四月より開始された「昭和の大造営」において巨額の造営資金を御寄附され、大造営完遂の牽引力となるとともに、「鈴松庵」と名付けられた茶室をも御寄進された。

かような松下翁の崇敬の真心を末永く後世にまで顕彰申し上げるべく、平成十年四月二十七日、帰霊十年目を迎えるに当たり、「鈴松庵」東側の斜面を墾り開き、御影石造りの御社殿を設けて椿大神社末社「松下社」として御霊代を奉安申し上げた。

松下翁は幼少の頃より苦労を重ねられる中で、持ち前の忍耐・努力・卓抜な発想・着想を以て身を起こし、一代にして成功を遂げられた立志伝中の人。

それは延いては我が国の戦後復興・経済発展、また、国民生活の向上に大きく寄与することとなった。

それにより国家繁栄、業績向上、立身出世、妙楽着想の御神徳を発揚される。

その他の見どころ

かなえ滝

「かなえ滝」は椿大神社別宮 天之鈿女命本宮のすぐ横にある小さな滝です。

この滝の写真をスマホの待ち受けにすると願いが叶うといわれています。

さらに滝の流れが上る鯉に見えたり、に見えたりするとさらに効果があるそうです。

また、その滝で「銭洗い」「お清め」も行うと良いそうです。

御船磐座みふねのいわくら

御船磐座(みふねのいわくら)

御祭神猿田彦大神

    瓊瓊杵尊

    栲幡千々姫命たくはたちぢひめのみこと

現在の御本殿の神座となる基本を石によって示された、境内地の最も重要な「いわくら」である。

神代の神跡。

天孫瓊瓊杵尊一行の御船がここに繋がれ、この地より九州へと御祭神猿田彦大神が御先導されたと伝わる。

地球玉ちきゅうだま猿田彦大神さるたひこおおかみ

地球玉の猿田彦大神

地球国土の神(国つ神)として守護する猿田彦大神は地球上の人等の平和と幸福を招く働きをされます。

高山土公神陵(たかやまどこうしんりょう)

周囲 約三百メートル

幅 約五十メートル

高さ 約二十メートル

太古の古墳と伝えられる 椿大明神・猿田彦大神の神陵(みささぎ)

大黒天だいこくてん恵比須神えびすしん

大黒天】

頭巾をかぶり、右手に打出の小槌、左手に大きな袋を背負い米俵の上に立ち、豊穣をもたらすとのことから、招福開運・五穀豊穣の神様とされています。

恵比須神

右手に釣り竿、左手に鯛を抱えているお姿から、漁の神様とされ、海の安全と大漁満船をもたらすとのこより、航海安全・商売繁昌・敬愛富財の神様とされています。

四日市市に来たら、行きたいお店「熊猫飯店くまねこはんてん

鈴鹿方面へ行かれた際に寄ってみたい、四日市にあるお店熊猫飯店くまねこはんてんを紹介します。

行列が絶えないお店なので、1時間程度の待ちがあります。

テレビでも、紹介されたことがある有名店です。

読み方は「くまねこはんてん」です。「ぱんだはんてん」ではありませんでした。

今回、雨天というのにAM11:00オープンの15分前で、7組以上の待ちです。

いよいよAM11:00オープンです。

店内には入れたが、前の組で満席になり、待合椅子で待機。

AM11:50にテーブル席でオーダーをします。

担担麺(辛くない)・黒ごま担担麺(辛くない)・黒ごま担担麺(小辛)・水餃子ごはん(中)・杏仁豆腐を注文。

途中で替え玉も注文。

前回、麻婆豆腐(中辛)を頼んで、凄く辛かったので(すごく美味しいのですが)、今回は辛くないを選択。

中辛以上は意外と辛いので、苦手な方は注意してください。

担担麺、黒ごま担担麺とも美味しくいただきました。

また来たときは、台湾ラーメンに挑戦です。

麻婆豆腐はニンニクが効いた、コクのある一品です。

一度食べたら、他の麻婆豆腐では物足りなくなってしまいます。

まとめ

今回、特に龍神三社巡りについてまとめました。

龍神様に興味のある方は、ぜひ椿大神社を参拝してみてください。

みちびきの神である猿田彦大神と縁結びの神である天之鈿女命にパワーをもらって、夫婦仲良く、良い人生にしていきましょう。

2024年は辰年であります。

龍神様にお参りすることで、さらに良い氣を頂きましょう。

レイラインに興味がある方は下記を参照してください。