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【岡山県観光その4】倉敷市の由加神社および鷲羽山・玉野市の玉比咩神社を巡る

第四回目(その4)として、倉敷市に鎮座する由加神社と玉野市に鎮座する玉比咩神社を紹介します。

由加神社では「権現」について勉強になりました。

倉敷市に戻り、瀬戸大橋が綺麗に見える鷲羽山展望台へ足を運び、夕日に写る瀬戸大橋を満喫することができました。

道中の海岸線での美しい景色も見ることができ、瀬戸内海を満喫できること間違いありません。

厄よけ総本山の【由加神社

由加山は神仏習合の「瑜伽大権現」を祀った蓮台寺と「巨岩」を御神体として信仰する由加神社が共存しています。

瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)について

まかね吹く吉備の児島、その半島の霊峰瑜伽山(ゆがざん)に蓮台寺はある。

海抜三百米、三万坪の境内をもつ別格本山である。

今から千二百年前(天平五年・七三三)奈良時代に、行基菩薩が五塵(五つの欲)の垢を洗う聖地瑜伽山(由加山)に一寺を開き、阿弥陀如来・薬師如来の二尊を「瑜伽大権現」としてお祀りしたのが、瑜伽山(由加山)蓮台寺の始まりです。

当、由加山にこもり行基菩薩自ら三七日(さんしちにち)二十一日の行を修し、感得されたのが当山蓮台寺ご本尊、十一面観世音菩薩であります。

その後、室町時代初期に今弘法としてたたえられた増吽僧正が中興、中世にはすでに瀬戸内海随一のお詣り所として栄え、現在の伽藍(がらん)が整備されたのは江戸時代です。

人々の願いを叶えるため仏が権(か)りの姿「権現神」として現れたのが「権現さま」です。

瑜伽大権現は霊験あらたかで、「厄よけの権現さま」といわれ備前藩主 池田継政公(二代)以降、当権現への信仰は篤く、祈願寺として藩主自ら参拝になられました。(その時に宿泊利用された建物が「蓮台寺客殿」です。)

権現(ごんげん)は、日本の神の神号の一つ。

日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。

という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「れた」ことを示す。

インドのバラモン教やヒンドゥー教の神々は「天」という神号で護法善神として大乗仏教の天部に取り入れられたが、日本の神々が日本仏教に取り入れられた際には本地垂迹思想に基づき権現という神号が多く用いられた。

権現には山王神道(天台宗)・両部神道(真言宗)に基づくものや、自然崇拝(山岳信仰)と修験道が融合したもの等があり、民間信仰においては地域の名士や不慮の死を遂げた人物などが死後に権現として祀られる例も見られる。

なお、「明神号」と「権現号」が区別されずに使用される例も少なくはない。(愛宕権現=愛宕明神、白山権現=白山明神など)

明治維新の神仏分離令(神仏判然令)で権現社・権現宮・権現堂の多くが廃され、「権現」の神号や修験道が一時禁止されたため、権現を祀る神社の多くは本地仏を廃して祭神(垂迹神)のみを祀るようになった。

ウィキペディアより

この車は、仏教発祥の国「インド」に渡り、カースト制度によって抑圧される人々たちの解放のため、インド仏教の復興に生涯をかける日本人僧侶「佐々井秀嶺師」から、後の運動への援助に対する感謝の気持ちとして贈られた「インドの車」です。

由加神社本宮です。

日本一の備前焼大鳥居が迎えてくれます。

芸能人も多数訪れているようです。(長渕剛ほか)

由加山由加神社本宮は二千有年の歴史を持つ神仏混淆の御山です。

その昔、巨岩を御神体(磐座信仰)として近郊の人々の災難を祓い福を授ける守護神として厚い信仰を受けて以来、桓武天皇の代(七八三年)からは朝廷の祈願所として、また、江戸時代には備前岡山藩主池田候の祈願所として「由加大神さま」「権現さま」への信仰は篤く正月、五月、九月には藩主自ら参拝になられておりました。

その時ご参拝になられた建物が由加神社本宮ご本殿です。

時期(江戸時代)を同じくして「ゆがさん・こんぴらさん両参り」と云われ両社をお参りすればご利益が沢山頂けるという「両参り」の風習が広がり、今も全国津々浦々から信仰されております。

由加の大神さま・権現さまは「有求必應」(本殿内神額)求めが有れば必ず應じて下さる神様として、本当に多くのご参拝をお迎えしております。

現在は岡山後楽園内、東は奈良公園、西は長崎県など全国に五十二の分社を有する由加神社の本宮厄除け・災難除けに非常に強い神様をお祀りする厄除けの総本山としても知られております。

神秘的な巨石のある【玉比咩神社

玉比咩神社について

当神社の起源でありご神体でもあります「霊岩」に触れてご利益を得られますように堀に架橋いたしております。

ご祭神であります龍宮城のの乙姫様「豊玉姫命」は海上、交通安全・開運厄除け・安産・縁結びの神として広く信仰されております。 

玉比咩神社より

霊岩由緒

この巨岩は古来より霊験あらたかな霊岩として崇敬されてきました。

昔この辺りまで海岸があり満潮時には、この霊岩は海水に洗われていたと云われている。

伝説によるとこの岩から、ある夜、火の玉が三つ飛びだして、其の一つは龍神の鎮まります臥龍山(がりゅうざん)中腹の臥龍稲荷神社奥宮に、其の一つは西大寺観音様に、今一つは牛窓に向かったといわれている。其の火の玉が出た処が、今に丸く日輪の形にのこっているのだと云う。

万葉集に当地玉の浦を詠んだ歌が多数残されている。

「ぬは玉の夜は明けぬらし 玉の浦にあさりする鶴 鳴きわたるなり」

昔この珍しい形の巨岩を御神体として祭ったのが原始信仰である玉比咩神社の起源である。

御祭神は海神の娘豊玉姫命即ち竜宮の乙姫様で日本書紀によれば産室にあって龍に化身したと云われている。

海上の守護神、安産の神として知られている。

往古は形状が玉の如くであるため玉石と称されていた。

玉石の玉が当地の地名「玉」となり社名「玉比咩」と称されるようになったものと考えられ又巨岩の姿が恰も石が立っているが如く見えるので後世「立石」と称し現在に至っている。

昔は臥龍山中腹に御社があったが現在の地に下ろされ玉比咩神社となる。

玉比咩神社より

瀬戸大橋が見られる【鷲羽山展望台】

鷲羽山について

山名の由来は、鷲が羽を拡げて飛ぶ姿に似ているところから(山頂は百三十三メートル)

昭和六年(1931)「国立公園法」が制定され、その第一号として昭和九年三月、瀬戸内海が霊仙、霧島と共に国立公園の指定を受けた。

現在、その区域は和歌山県から福岡県の440km、十一府県にまたがっている。

平成二十六年(2014)は指定八十周年の記念すべき年に当たる。

この地に立つと眼下に松島、釜島、六口島の備前三島、櫃石(ひついし)島、本島、与島などの塩飽(しわく)二十八島が位置を占める。

この備讃瀬戸の多島美を縫うように伸びる瀬戸大橋(鉄道との併用橋)は、昭和六十三年(1988)四月、約十年の歳月と一兆千三百億円の巨費を投じて完成。

本土と四国を結ぶ大動脈の役果たしている。

まとめ

今回は「権現」で有名な由加神社、神秘的な巨石がある玉比咩神社を参拝しました。

また、瀬戸内海の海岸線を走り、鷲羽山へ向かい夕日に写る瀬戸大橋を満喫しました。

岡山県観光をする際には参考にしてください。

岡山県観光 その1

岡山県観光 その2

岡山県観光 その3