日本神話における「国生み」で有名な淡路島の「伊弉諾神宮」「おのころ島神社」を巡りました。また、龍にまつわる神社「安乎岩戸信龍神社」まで足を運びました。
淡路島に行かれた際には立ち寄ってみてください。
「伊弉諾神宮」はレイラインでも有名な神社になります。
レイラインについては下記を参照にしてください。
国生みについて
国生みは、日本神話において、日本列島の島々がどのようにして生まれたかを説明する物語です。
この神話は、『古事記』や『日本書紀』に記載されています。
国生みの物語は、創造神である伊弉諾尊と伊弉冉尊という神々によって始まります。
高天原の神々から命じられた二神は、天浮橋に立ち、天沼矛という神聖な矛を海に差し入れます。
矛を引き上げた際に滴り落ちた塩の滴が固まって、最初の島である淡路島が生まれました。
八島国の生成
淡路島を皮切りに、伊弉諾尊と伊弉冉尊はさらに島々を生み出しました。
以下に、八島国と呼ばれる主要な島々の生成順序を示します。
淡路島
四国(いよのふたなの島)
隠岐島(おきの三子島)
九州(筑紫島)
壱岐島(いきの島)
対馬(つしまの島)
佐渡島(さどの島)
本州(大倭豊秋津島)
この順序で、日本列島の主要な島々が誕生したとされています。
次いで、祖先神となる三十五柱の神々が誕生します。
伊弉諾神宮について
伊弉諾神宮の起源は非常に古く、神社の創建は神代にまでさかのぼります。
日本神話によると、伊弉諾尊と伊弉冉尊は、高天原の神々によって天地創造の任を受けました。
二神は天の浮橋に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)を海に突き入れ、その滴が固まって最初の島である淡路島が形成されました。
その後も二神は数多くの島々を生み出し、最後には日本列島全体を創造しました。
伊弉冉尊は火の神、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を産んだ際に火傷を負い、命を落としました。
悲しみにくれた伊弉諾尊は黄泉の国に赴き、伊弉冉尊を連れ戻そうとしましたが、失敗に終わり、その後、伊弉諾尊は身を清めるために淡路島に隠棲しました。
この伝説的な「幽宮」(かくりのみや)が現在の伊弉諾神宮の前身であり、伊弉諾尊が余生を過ごした場所とされています。
神社の公式な創建は不明ですが、平安時代には既に存在していたとされています。
『延喜式神名帳』には「淡路国一宮」として記載され、古代から重要な神社であったことが窺えます。
江戸時代には幕府の援助を受け、大規模な修復が行われ、現在の立派な社殿が形成されました。
おのころ島神社について
おのころ島神社は、淡路島の中央部に位置し、古くから信仰の対象として多くの参拝者を集めています。
神社の名前の由来は、日本神話の国生みの物語に登場する「おのころ島」から来ています。
おのころ島は、日本神話において非常に重要な場所とされています。
伊弉諾尊と伊弉冉尊がこの島に降り立ち、ここから日本列島の創造が始まったとされています。
この神聖な場所が現在の淡路島にあると信じられており、その中心が「おのころ島神社」とされています。
おのころ島神社の大鳥居は、非常に大きく立派な構造で、訪れる人々を迎え入れるシンボルとなっています。
この鳥居をくぐることで、神聖な境内に足を踏み入れることができます。
鶺鴒(せきれい)石
伊弉諾命・伊弉冉命はこの石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て夫婦の道を開かれ、国生みをされたと言われています。その鶺鴒の仕草は、現在も神前結婚式での三・三・九度の仕草に受け継がれています。縁結びの起源としても有名です。是非、良縁をお結びください。
【新しい出会いを授かりたい場合】
★まず『白い縄』のみを握り、続いて『赤い縄』のみを握り、そのあと思いを込めてお祈りください。
【今の絆をより深めたい場合】
★お二人で来られた際は・・・
男性が『赤い縄』、女性『白い縄』を握り、手を繋いで思いを込めてお祈りください。
★お一人で来られた際は・・・
まず『赤い縄』のみを握り、続いて『白い縄』のみを握り、そのあと思いを込めてお祈りください。
安乎岩戸信龍神社について
この日本の国で最初にできた小さな島。
おのころ島。
日本発祥の地、すべての日本人の心の故郷。
その小さな島の海岸の小さな社に、小さな神様がいました。
その小さな神様は村人にとても大切にされ、幸せな日々を送っていました。
小さな神様には、他の意地悪な神様や海からやってくる嵐から、いつも守ってくれる龍がいました。
小さな神様と龍は仲睦まじく、いつも一緒に暮らしていたのでした。
時は流れ、小さな島はたくさんの人で賑やかになり、小さな神様のことを忘れてしまう人が増えました。
小さな社はそれを守る人が減り、だんだんと朽ちていきました。
小さな社を守る人は減っていきましたが、それでも小さな神様には龍がいたので、寂しいと思ったことはありませんでした。
ある時、朽ちる小さな社を憂いた村人は思いました。
「ことらの神様をもっと大きな社に遷したら、賑やかになって神様も寂しくなかろう」そうとは知らぬ小さな神様は、たまたま龍におつかいを命じました。
「龍よ、すまぬが葛城までつかいに出てくれぬか、そこは私のふるさとでな、忘れ物を取ってきてほしいのだ。今なら朝昇る太陽の方向にまっすぐ行けば、葛城に届く」龍は小さな神様をいっときお守りできないことにちょっと不安になりましたが、神様のお頼みを断ることはできません。
「かしこまりました。お忘れ物を取ってすぐに帰ります。しばしの間お待ちくださいませ」春分の日、真東に昇る太陽に向かって龍は一目散に駆け出しました。
しかし、その日の午後に小さな社に村人がやってきます。
「神様、失礼いたします」そういうと村人たちは丁寧に、神様の宿った御神体を小さな社から運び出し、そこから離れた大きく賑やかな社へと遷し奉りました。
葛城で無事おつかいを終えた龍は、今度は西に沈む太陽に向かって、その日のうちに急いで小さな社をめがけて駆けだします。
日も沈みかけた薄暗い洞窟の小さな社に戻ってみれば、どことなく小さな社はさらに朽ちて見え、どこを探しても小さな神様の姿は見えません。
「神様、神様、どこですか、神様。おつかいを果たしてきました、神様」洞窟中を探し回り、何度も龍は小さな神様に呼びかけました。
しかし、小さな神様はもう、その社にはいませんでした。
小さな神様から龍に、返事が返ってくることはなかったのです。
それからというもの、きっと神様はいつか帰ってくると信じて、龍は今も神様のいなくなった小さな社で待っているのだといわれています。
そこで人間の根源をなす 信なくば立たず
帰ってくることの無い小さな神様を待っているけなげな龍、誠実な龍を信頼のシンボルとしてお祀りし、新たに信頼の神、安乎岩戸信龍神社として再興する事になりました。
まとめ
日本神話における「国生み」で有名な淡路島の「伊弉諾神宮」「おのころ島神社」を巡りました。
また、龍にまつわる神社「安乎岩戸信龍神社」まで足を運び、淡路島の歴史に触れました。
龍にまつわる神社については下記を参照してください。