広島県世羅町神農湖のほとりに、ひっそりと佇む【大成龍神社】は「出世の神様」で有名になりました。
龍の画が有名で、龍神様に会いに来る人が後を絶ちません。
そんな、【大成龍神社】をご紹介します。
広島県に行った際には、立ち寄ってみてはどうでしょう?
さらに、芦田湖にちょっと変わった吊り橋『夢吊橋』がかかっているので、見てきました。
神農湖・芦田湖どちらとも、【龍】を形取ったような不思議な形をした湖です。
龍にまつわる有名な神社(日本三大龍穴)については下記を参照してください。
大成龍神社について
ご神体は一抱えほどの石です。
この石については不思議な伝説が残ります。
「不思議なはなし」(大妻コタカの自助的随筆集「ごもくめし」より要約)
大成さんのご神体は一抱えの太いちょっと曲がった石です。
その石は田圃の中にあったのですが、邪魔になるので数人で邪魔にならないところへ運んで移しました。
ところが翌朝になってみると、その石がもとの田圃の中に帰って来ているので、また運び出しました。
こんなことが三日も続きましたので当時久恵の集落の人たちは、「これはただの石ではない、不思議な御霊験のある石だからお祀りしよう」と相談し、水没前の熊田家(コタカの実家)の裏山中腹にお宮を建て、その中へお移し、氏神様として一年に一度はお神楽をしたりしていました。
ところが、明治時代末の神社合祀令により、同じ三川村の川尻にある八幡神社に合祀され、ご神体の石も八幡さまに移されました。
すると1928(昭和3)年のある晩、コタカの夫が東京で先祖調べをしていた時に霊能者(霊媒師)の口をもって「おれは、コタカの生まれ故郷の氏神、大成だ、八幡様に同居させられたが居候は嫌いだ、今おれは、コタカの実家の藤の木に居て雨露をしのいでいるが、おれの宮をつくってくれないか、小さな祠でよいから、土地の神様(荒神)のお宮と、おれの二つをたのむ」と告げました。私(コタカ)は人手に渡っていた土地を買い戻し、祠を建て、八幡様からご神体の石も移して、大成さんのお告げ通りにしました。
このお宮もダム建設で現在はダムのふちに移され、小さいながらも立派な神殿も建て、久恵の集落の人たちと、今では尊い氏神様の御神殿として心のよりどころとしております。
雨龍水天戯画
戯(たわむ)れる三匹の雨龍たち。「雨龍」とは、最も若い時期の龍の呼び名です。天候を左右すると言われ一方で、徳を積みより霊格の高い龍へと成長していく期待を込め、「出世神」としても親しまれています。 前川知子書 橘ナオキ画
天成龍神御守護龍
国常立尊(くにのとこたちのみこと)は、龍神との伝承があり、そのお姿は、黄金に輝いています。国土形成の根源神として古事記・日本書紀ともに天地開闢(てんちかいびゃく)に現れた神様として記されています。大成龍神の御守護として重要な役割を担っています。
星野喜蝶 書画
夢吊橋について
「夢吊橋」は、八田原ダム・芦田湖に架かる世界一支間長の長い吊床版橋(つりしょうばんきょう)です。この橋は、吊構造の特性を活かした新しいタイプの橋で、古くは中国の奥地や中央アジア各地に見られる、藤づるなどを利用した吊橋と基本的には同じで、谷や川の両側に張り渡したケーブル(PC用高張力鋼材)を薄いコンクリートで包みこんで床版とし、その上を直接人が通れるようにした構造です。
「夢吊橋」(世界一の吊床版橋)と八田原大橋は、八田原ダム・芦田湖周辺の水辺景観を創出するモニュメントです。このため、夢吊橋は急峻な地形等の施工条件と景観上の配慮から、吊床版橋としました。吊床版橋の特徴は、自重が軽く、プレキャスト施工により工期が大幅に短縮でき、振動特性や耐風安定性に優れており、大型機械の搬入が困難な場所や急峻な地形での施工も可能で、圧迫感のある塔などがなく、景観的にも優れたスレンダーな橋梁です。
「夢吊橋」という名称は、甲山町が世界一の橋に広く親しんでもらうため、一般から愛称を募集しました。
まとめ
何か不思議なパワーを感じる「龍の形をした湖」神農湖に鎮座する大成龍神社に参拝に上がりました。
「出世の神様」で有名であるため、ご利益を頂けると良いですね。
龍に関する神社・パワースポットは下記を参照ください。