日本にはたくさんの龍脈(山脈)・龍穴(水脈)が存在していて、古くから自然のパワーを感じて神聖化されています。
大地の気の流れを龍脈と言い、その気の出口を龍穴と言います。
山脈や水脈など気が地上に吹き出る場所を言います。
龍穴は水を司る神である龍が住んでいるとされています。
パワースポットとよく言われている場所はその気の出口であることが多く、古くから神社・仏閣が鎮座している場所なのです。
日本では自然を崇拝し、山、川、岩、滝、空などに神様が宿っていると考えてきました。
今、現在、住んでいる場所、家族、仲間、【気が良いところ】に自分がいることが、その人にとってのパワースポットとなっているのかもしれませんね。
また、気の良いところに出かけて、自分の気を良くすることによって、周りの人を助けたり、幸せにしたり、社会に貢献したり、より良い生活を目指して、自然に行動しているのかもしれません。
昔から水は貴重なもので、雨を降らすために「雨乞い」を行い、日照りから人々の生活を守ってきました。「雨乞い」と「水を司る龍神」とは深く関わっています。
日本全国いろいろな地域で存在している龍脈・龍穴はありますが、今回は龍穴で有名な場所(日本三大龍穴といわれている)を紹介したいと思います。
日本三大龍穴とは
日本で有名な龍穴は、以下の三カ所となります。
※合わせて巡りたい【龍鎮神社】
※合わせて巡りたい【御金神社】
それでは、詳しく三カ所の龍穴について見ていきましょう。
室生龍穴神社の奥宮吉祥龍穴
龍穴神社について
延喜式(967)内の古社で雨神タカオカミノカミを祭り、雨ごいの神として知られています。
神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、今でも雨ごいの行事が行われています。
この神社は室生寺よりも古く、室生寺は龍穴神社の神宮寺ともいわれ、龍王寺と呼ばれていた時期がありました。
神社には参拝用駐車場がありません。
神社前に数台停まっていたので、縦列駐車しました。
室生龍穴神社「令和の御造営事業」御奉仕のお願い
室生龍穴神社は平成十五年の御造営から二十有余年を経過し、県指定文化財の本殿をはじめ諸施設も老朽化が進みかなり損傷してまいりました。
令和十年に「令和の御造営事業奉祝祭」を控え、社殿、神域の荒廃した部分を修復して御神徳の宣揚にご奉仕致したいと考えております。
御多端の折誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解とご賛同をいただきこの事業へのご奉仕を賜りますよう伏してお願い申し上げます。
事業概要
- 本殿修復工事
- 拝殿修繕工事
- 社務所一部改築工事
- 奥宮遥拝所床板取替工事
- 境内整備工事
- その他付帯工事
奉祝祭斎行 令和十年秋予定
奉賛金は一口三千円からお願いします。
社務所前に奉賛金申込書を置いてありますので、ご記入後社務所受付又は箱の中へお入れください。
室生龍穴神社御造営委員会より
社務所には人がいないため、御朱印を頂くには、室生寺へ行くことになります。
連理の杉
古くから連理の杉あるいは夫婦杉と言われており、その形状から夫婦和合・家庭円満ひいては家運隆昌の神が鎮まるところとして、衆庶の信仰を集めて今日に至っています。
室生龍穴神社より
龍穴神社で参拝が終わりましたら、吉祥龍穴へ向かいます。
龍穴神社からさらに奥へ車で登っていくと、吉祥龍穴の看板が出てきます。
ここから細い山道を車で登っていきます。
運転に自信がない方は龍穴神社から徒歩をお勧めします。
しかし、歩きだと吉祥龍穴まで1時間程度かかりますので、注意してください。
吉祥龍穴へ向かう途中に、天の岩戸神社があります。
天の岩戸からさらに登っていきます。
この先は進入禁止となっていました。
鳥居の前に車を停めて鳥居をくぐり、階段で下へ下りていきます。
これが、「室生龍穴神社の奥宮吉祥龍穴」です。
「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)(平安時代中期)にも記載された古社で、雨を司る神・高龗神(たかおかみのかみ)を御祭神としており、渓流にある背後の岩窟を龍王の棲む「龍穴」として祭祀したことをその起源としています。
「龍穴」は平安時代前期以降、朝廷から祈雨神として信仰されるようになり、古記録にも「室生龍穴」などと記されています。
現在、この岩窟は「吉祥龍穴(妙吉祥龍穴)」(きっしょうりゅうけつ)とよばれており、ここに棲む龍王は、もともと奈良の猿沢池に棲んでいましたが、春日山へと移動し、その後、この龍穴へと移ってきたといわれています。
この龍穴信仰に基づき創建された室生寺とは親密な関係があり、古代から一体的に信仰されています。
春日造の本殿は、春日大社若宮の社殿を江戸時代の寛文12年(1672)に移築されたもので、奈良県指定文化財となっています。
環境省・奈良県・宇陀市
宇陀市に来たのなら、龍にまつわるもう一つ龍鎮神社へも行きましょう。
奈良県宇陀市室生龍穴神社と合わせて行きたい【龍鎮神社】について
赤い龍鎮橋を渡る手前に2台程度駐車できるスペースがあります。
すれ違いが困難な場所もあるので、運転には注意して行く必要があります。
橋を渡ってすぐ、ここから下へ行きます。
貴船神社の奥宮本殿下の龍穴
水徳神高龗神(たかおかみのかみ)を祀る旧官幣中社(かんぺいちゅうしゃ)で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、明治四年(1871)以降「貴船」と改められた。
平安時代延喜の制には、名神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。
弘仁九年(818)以来の歴朝の奉幣、祈願では、もっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬又は赤馬が献ぜられるのが例であった。
平安時代末期には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)上賀茂神社の摂社とされたが、明治以後独立した。
かつて社殿は貴船川に沿って上がった所にある現在の奥宮の地にあったが、天喜三年(1055)、現在地に移転された。
本殿、拝殿、権殿等から成り、本殿は文久三年(1863)及び平成十七年(2005)に改修された。
また、境内には祈雨の行事を行った雨乞いの滝、奥宮本殿の西には船形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁(とりで)がある。
和泉式部(いずみしきぶ)がお詣りし、不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話はよく知られている。
京都市より
貴船神社への入り口、叡山電車「貴船口」駅付近を流れる鞍馬川と貴船川との合流点に梶取社は祀られています。
左手に貴船神社、右手に鞍馬山となります。
梶取社のいわれは、貴船神社創建の伝説に由来します。
反正天皇の御代、浪花の津に黄船に乗った神が現われ 「吾は玉依姫なり、この船の止まる所に祠を造れば国土を潤し、庶民に福運を与えん」 といわれ、天皇様がお使いを差し出されて船に従わせられ、淀川、賀茂川をさかのぼり、貴船の奥宮の地に上陸されたといわれ、その時に舵を巧みに操られた神様をお祀りしたのが「梶取社」です。
梶取の神は、古来、航海安全、人生の舵を巧みに操る神としての信仰が篤く、車社会の現代はハンドル(舵)を巧みに操るて交通安全の神としてあがめられています。
梶取橋を渡り、貴船神社へ向かいます。
桂(御神木)
貴船は古くは「気生嶺」「気生根」とも書かれていた。
大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」が生ずる根源という意味。
神道では、体内の気が衰えることを「気枯(けが)れ」といい、古来当社に参拝する物皆、御神気に触れ、気力の充実することから運気発祥(開運)の信仰が篤いこの桂は、樹齢四百年、樹高三十メートル、根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神水と仰がれる由縁である。
上流の結社されに奥の奥宮の境内にもこれより大きな桂がある。
石庭 天津磐境(あまついわさか)
昭和の作庭家の第一人者・重森三玲氏が昭和四十年に古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージして造った石庭。
貴船川から産出する貴船石は緑色や紫色をした美麗な水成岩で、庭石、盆栽石の名石として、その数も少なく珍重されている。
この庭は、貴船名石保存のため、すべてを貴船石で石組されているのが特徴で、庭全体が船の形になっている。
中央の椿の樹がマストで、神が御降臨になる樹籬(ひもろぎ)でもある。
神武天皇の母神様・玉依姫が、浪速の津から水源の地を求めて黄色の船に乗ってこの地に来られたとの神社創建の伝承に因んでいる。
その貴船は今も奥宮に船形石として残っている。
絵馬発祥の社
先人にならい絵馬を奉納してご祈祷下さい。
古来、雨乞いの社として名高い当社には、畏くも歴代天皇様より日照りには黒馬・霖雨には白馬又は赤馬をその都度献げて御祈願される例になっていました。
しかし、時には生馬に換えて「板立馬」(いたたてうま)を奉納したと、平安時代の文献である「類聚符宣抄」は伝えています。
この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています。
当宮では、此の故事に倣らい、かつて和泉式部が復縁を平實重が藏人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったように、皆様方の心の願いを、一枚の絵馬に託して御祈願なさいますように、お勧めいたします。
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由緒
御祭神は高龗神。
水の供給を司る神。
創建年代は明らかでないが、第十八代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。
対岸鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦十五年(796)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。
永承元年(1046)七月の水害で奥宮が被災、天喜三年(1055)四月この地に本社を移築した。
京都に都が開かれて当社は国の貴重な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。
特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。
「その数数百度に及ぶ」とある。
平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名神大社。
庶民の崇敬も篤く全国に二千社を数える分社がある。
古くは「貴布禰と記したが「黄船」「木船」「木生嶺」「氣生根」などの表記も見られる。明治四年官幣中社となり、以後「貴船」の表記で統一された。
例祭 六月一日
神水
- 自ら活動して他を働かしむるは水なり
- 常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
- 自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
- 障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
- 洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪となり雪と変し霰と化し凝っては玲ろうたる鏡となる、しかもその性を失わざるは水なり
相生(あいおい)の大杉(御神木)
同じ根から生えた樹齢1000年ともいわれる二本の杉の水の寄り添う姿が、仲睦まじい老夫婦の姿にたとえられ、相生(相老)の杉と親しまれている。
夫婦共に長生きの意味。
思ひ川
夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。
当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。
この谷は禊(みそぎ)の川、物忌み(ものいみ)の川だったのです。
和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。
禊の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
遅桜なほもたづねて奥宮 思ひ川渡ればまたも花の雨 虚子
貴船神社 奥宮
当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、水や雨を司る神「高龗神」である。
社伝によれば、「反省天皇の時代(五世紀初頭)に玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめる説もある。
境内の本殿横には、この伝説にまつわる「船形石」があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全にご利益があるされた。
また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861~1863)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという。
この他、宇治の橋姫伝説や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。
なお当社境内周辺には、昭和六十年(1985)六月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が多く見られ、自然遺産の宝庫でもある。
京都市より
連理の杉(御神木)
連理とは一つの木の枝が他の木とくっついて、いっしょになること。
杉と楓が連理し、夫婦・男女の和合の信仰が篤い。
貞明皇后ご参拝の折(大正十三年)称賛された連理の杉。
連理とは別々の木が重なって一つになる意で夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。
この神木は杉と楓が和合したもので非常に珍しい。
雨乞いの滝
昔の雨乞神事の旧跡地。
奥宮手前の山中にあり、滝が三段に分かれている。
現在は禁足地となっている。
船形石(ふながたいし)
第18代反正天皇の御代(約1600年前)、神武天皇の皇母玉依姫命が浪速の津(今の大阪湾)より水源の地を求め、黄色の船に乗って淀川・鴨川をさかのぼり、この地に至った。
その船を人目に触れないように小石で包み隠したもの。
古来この小石を携帯すると航海・旅行安全との信仰がある。
鏡岩
貴船山の中腹にある磐座といわれる古代祭祀の遺跡。
貴船明神が丑の年の丑の月の丑の刻に天下万民救済のために、神界よりこの鏡岩に天下ったとの伝説のある聖跡。
牛鬼伝説も興味深い。
禁足地となっている。
貴船神社 中宮 結社(ゆいのやしろ)
御祭神 磐長姫命(いわながひめのみこと)
神武天皇(初代の天皇)の曽祖父にあたられる瓊瓊杵命(ににぎのみこと)が、木花咲邪姫命(このはなさくやひめのみこと)を娶らんとする時、父の大山祇命(おおやまつみのみこと)が姉の磐長姫命も共におすすめしたが、瓊瓊杵命は木花咲弥姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。
古くより縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が篤く、平安時代の女流歌人・和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名です。(和泉式部の歌碑がこの上の境内に建っています。)
昔はススキ等の細長い草を、今は「結び文」を神前に結びつけて祈願する習わしがあります。
男女間の縁だけでなく、人と人、会社と会社、就職・進学などあらゆる縁を結んで下さる神様です。
天乃磐船(あまのいわふね)
この船形の自然石は、貴船の山奥より出土し、平成八年三月、市内の造園業・久保篤三氏より奉納された。
重さは六トン。
船は、古くは唯一の交通機関であり、人と人、文化と文化の交流(結ぶ)ということから、縁結びの信仰と関わりがある。
また、奥宮の「船形石」伝説に見られるように神様の乗り物として神聖視され、当社と船との関わりは深い。
縁結びの神で知られる「結社」の御祭神・磐長姫命の御料としてここに納めた。
桂(御神木)
この桂は、樹齢およそ四百年。
神道では、体内の気が衰える事を「気枯れ」(けがれ)といい、古来当社に参拝する人は皆御神気に触れ、気力の再生・充実する事から、運気発祥(開運)の信仰が篤い。
いくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる。
これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇る姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。
本社と奥宮にも大きな桂がある。
※結び文は社殿脇の結び所に結んで下さい。
樹木に結ぶと枝が枯れ、貴方の「気」も枯れてしまいます。
蛍岩
平安の昔、宮廷の女流歌人・和泉式部が貴船明神に恋の成就を祈り、「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」と詠んだことは名高い。
今もこの辺りは蛍の名所で、見頃は6月下旬から7月上旬。
京都府京都市貴船神社と合わせて行きたい【御金神社】について
湯次神社裏山の備前龍穴
りゅうごん様について参考とさせていただきます。
まとめ
龍穴には何か不思議な自然のパワーを感じます。
室生龍穴神社・貴船神社には実際足を運んで、その神聖な雰囲気を味わいました。
岡山県の備前龍穴は機会があれば行ってみたいと思います。
自然の不思議なパワーを感じる龍穴でしたが、レイラインという太陽の通り道とパワースポットについても不思議なパワーを感じます。