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奈良県天理市【石上神宮】の七支刀と【桃尾の滝】の駐車場について

奈良県天理市に鎮座する石上神宮いそのかみじんぐう を参拝し、桃尾の滝ももおのたき ・石上神社いそのかみじんじゃ まで足を運びました。

石上神宮の拝殿は現存する日本最古と言われ、その歴史の深さを感じ、桃尾の滝では自然の雄大さを体感しました。

特に、石上神宮の駐車場情報、また、桃尾の滝への行き方・駐車場についても記載しています。

令和7年4月には、奈良国立博物館で「超国宝―祈りのかがやき―」が開催されます。

七支刀しちしとうなど奈良の歴史に関わりの深い国宝が展示されるそうです。

さて、石上神宮の名前はあまり知られていませんが、実は全国的にも格式の高い神社であることを知っていましたか?

日本書紀に登場する神宮として「伊勢神宮」「出雲大神宮(出雲大社)」「石上神宮」が挙げられます。

日本書紀から考えると、日本三大神宮と言っても過言ではありません。

石上神宮はそれだけ格式が高いと考えられます。

古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある。

神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称している。

古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。

古くは斎宮が居たという。

その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、布都姫という名が知られている。

社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った。

その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。

ウィキペディアより

天理方面から来た場合は、向かって左側が第2駐車場で右側が第3駐車場になります。

第2駐車場の入口

第3駐車場の入口

※第1駐車場は車のお祓い時に駐車するスペースとなっています。

第2駐車場が空いていれば、第2.駐車場が最寄り駐車場になります。

第2駐車場から裏道を通って、鳥居まで行きます。

鉄製で、身の左右に各3本の枝刃を段違いに造り出した特異な形をした剣です。全長74.8センチで、下から約3分の1のところで折損しています。

剣身の棟には表裏合わせて60余字の銘文が金象嵌で表わされており、その解読が明治以降続けられ、現在では大体次の様に解釈されています。

この七支刀は『日本書紀』に神功皇后摂政52年に百済から献上されたとみえる「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると推測されており、前述の推定に誤りがなければ、この七支刀の銘文は『日本書紀』の紀年を訂正し、その伝承を裏付けることになります。

しかも、この銘文は、我が国古代史上の絶対年代を明確にする最古の史料なのです。

石上神宮より

奈良国立博物館で令和7年(2025)4月19日 (土)~令和7年(2025)6月15日 (日)に「超国宝―祈りのかがやき―」が開催されます。

奈良国立博物館開館130年記念特別展

奈良国立博物館(奈良博)は明治28年(1895)4月29日に開館(当時は帝国奈良博物館)して以来、令和7年(2025)をもって130周年を迎えます。

これを記念し、このたび奈良国立博物館ではこれまでで最大規模となる国宝展を開催します。

 その名も「超国宝―祈りのかがやき―」

神仏にまつわる祈りの造形にはそれらを生み出し、守り伝えてきた先人たちの深い思いが込められています。なかでも「国宝」は私たちの歴史・文化を代表する国民の宝として広く知られています。

「超国宝」という言葉には、そうしたとびきり優れた宝という意味とともに、時代を超え先人たちから伝えられた祈りやこの国の文化を継承する人々の心もまた、かけがえのない宝であるという思いを込めました。

この特別展では、奈良博や奈良の歴史に関わりの深い国宝を中心に、未来の国宝ともいうべき重要作品など、日本が世界に誇る名品の数々をご紹介します。

国宝約110件、重要文化財約20件を含む約140件の仏教・神道美術を展示します。130年にわたる歴史を超え、国宝を生み出した先人たちの思いを超えて、文化の灯を次の時代につなぐため、奈良博が踏み出す新たな一歩をご覧ください。

奈良国立博物館より抜粋

大鳥居からまっすぐ進み、石段を登ると左手正面に楼門があります。

この楼門は、文保2年(1318)、鎌倉時代末期の建立で、重要文化財に指定されています。

高さ約10mの2階建ての建物で、明治時代以前は上層に鐘(かね)が吊られており、鐘楼門しょうろうもん とも呼ばれていました。

楼門を入って行くと、正面に拝殿があり、奥の禁足地きんそくち を背にして建っています。

白河天皇が、当神宮に伝わる鎮魂祭ちんこんさい のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿しんかでん を移したもので、国内最古、最大の建物となり国宝に指定されています。

皆様の祈祷もここで、ご奉仕を致します。

拝殿の奥は禁足地といい、最も神聖なところとして、古来から信仰の対象となっています。

石上布留高庭いそのかみふるのたかにわ 」と称えられ、石上大神がこの地にお鎮まりになると伝えられ、明治7年に当時の大宮司だいぐうじ が官許を得て調査、多くの玉類・剣・矛と共に御神剣が現出しました。

その後、神剣を祀る本殿が建てられました。

(禁足地の出土品はすべて重要文化財)

この拝殿は、大正3年に内山永久寺うちやまえいきゅじ から、摂社せっしゃ となる出雲建雄神社いずもたけおじんじゃ の拝殿として移築されたものです。

中央に通路があるので「割拝殿わりはいでん 」と言い、保延3年(1137)の建立で、全体に優雅な姿をしており、国宝に指定されています。

御鎮座は、天武天皇の時代と伝えられ、神宮の前の岡の上に社殿を建て、お祀りしたとあります。

ご祭神は、出雲建雄神いずもたけおのかみ で、熱田神宮に祀る草薙剣くさなぎのつるぎ の荒魂あらみたま となるます。

境内には、高木としてスギをはじめヒノキ、シイ、カシなど20mから30mの高さになる常緑樹も多く生育しています。

その中でもスギは30m前後の高さとなり、万葉の時代より「石上布留の神杉いそのかみふるのかみすぎ 」と詠われ、現在も神杉として、信仰の対象にもなっています。

境内に一歩足を踏み入れると、まず迎えてくれるのは、ニワトリです。

あちこちの木々の上で、あるいは玉砂利で歓迎のあいさつとて、「コケコッコー」と鳴き出します。

いろいろのニワトリが、約30羽おり、境内でのびのびと自由に生活しています。

桃尾の滝ももおのたきは、布留川ふるかわ の上流桃尾山にあり、高さ約23m、大和高原の西端を南北に走る春日断層崖の中では最大の滝です。

このあたりは、かつての桃尾山蓮華王院龍福寺ももおのさんれんげおういんりゅうふくじ の境内地でした。

和銅年間、義淵ぎえん によって開かれた龍福寺は、中世には寺領五百石を有する真言密教の大道場として栄えましたが、明治にはいって廃絶し、かつての阿弥陀堂跡には現在報親教大親寺ほうしんきょうだいしんじ の堂が建っています。

「布留の滝」として古い和歌集にも詠まれ桃尾の滝は、古くから行場として知られ、7月第3日曜日には、夏の安全を祈願し「滝開き」の神事が行われます。

「今はまた 行きても見はや 石の上 ふるの滝津瀬 跡をたづねて」

後嵯峨天皇ごさがてんのう

天理市より

奈良県天理市に鎮座する石上神宮を参拝し、その後、桃尾の滝・石上神社を参拝しました。

石上神宮の拝殿は現存する日本最古と言われ、その歴史の深さを感じ、桃尾の滝では自然の雄大さを体感しました。

ぜひ、石上神宮の歴史深さを体感してみてください。

日本三大神宮と言われる「伊勢神宮」「出雲大社」については下記を参照してください。