レイラインを巡る旅

【金華山の魅力を満喫!パワースポット紹介】レイライン第2回 「金華山」周辺を巡る

「金華山」(きんかざん)は標高329mあり、日本のレイライン「御来光の道」の一つに位置すると考えています。

古くから信仰の対象とされ、修験道の修行場や仏教の霊場として知られてきました。

その歴史的背景や神秘的な伝承に触れながら、山自体が持つ特別なエネルギーを感じることができます。

金華山の大部分は、チャートという硬い岩石からできており、岐阜城の石垣や巨石、庭園などにも使われています。

チャートは放散虫という珪酸質の硬い殻をもったプランクトンの殻が海底に堆積してできた岩石です。

2億年以上前に赤道付近の南半球でできたものがプレートの移動によって運ばれました。

地層が大きく曲がりくねっている(褶曲している)のは、プレートによって運ばれてきたチャートが大陸にくっつく際に強い力を受けたためです。

今回は「レイラインを巡る旅」の第2回目となります。

金華山の不思議なパワーを感じ、幸せな生活を送りましょう。

金華山」にまつわる歴史と文化に触れる

金華山周辺には多くの寺社が点在しており、それぞれが独自の歴史と美を持っています。

古刹や霊場を訪れながら、建造物の美しさや仏教の教えに触れることで、心の平穏さと内なる豊かさを感じることができます。

空海(弘法大師)8世紀に活躍した日本の僧侶であり、後に弘法大師として知られるようになりました。

彼は密教の教えを広め、仏教修行や宗教文化の発展に大きな貢献をしました。

金華山は岐阜県に位置する山であり、古くから修験道の修行場として知られています。

空海は修験道の修行を行うために、金華山を訪れました。

彼は金華山の自然の美しさや霊峰としてのパワーに魅了され、この地を修行の場と選びました。

弘法大師が金華山で修行し、その教えや霊気が金華山に宿ると信じられています。

金華山は現在でも多くの人々にとって、信仰の対象や霊的なパワースポットとして重要な存在です。

15世紀~16世紀は戦国時代といわれ、日本の歴史上、戦乱が激化し政治的な混乱が生じた時代です。

戦国大名たちが領土争いを繰り広げ、国内は長期にわたる戦乱状態に陥りました。

戦国大名たちは勢力を拡大し、国内統一を目指して戦いました。

この時代の特徴的な武将としては、織田信長や豊臣秀吉などが挙げられます。

金華山」山頂への行き方について

登山道を登る場合

金華山にはいくつかの登山ルートがあり、岐阜市側の麓や岐阜城周辺から登山口に向かって歩くことができます。

山頂まで30分から1時間で行くことができます。

登山道は整備されており、登山マップや案内板が設置されていることもありますが、山道は険しい場所もあるため、登山の経験や体力に応じて慎重に進むことが重要です。

岐阜公園側からの登山道を紹介します。

七曲り登山道

距離:1900m(所要時間約60分)

岐阜森林管理所から金華山の南西の尾根を登る登山道です。昔、お城へ登る時はこの道を使っていたと伝えられています。砦(とりで)の跡が多く見ることができます。全域平坦な道が続く安心して登れるコースです。

めい想の小径

距離:1100m(所要時間約60分)

金華山ロープウェー北側の登り口から金華山北側の傾斜を登り終盤にかけて急勾配になる登山道です。いく箇所に小さな沢があり、景色も美しく山ガールにもっとも人気の登山道です。

百曲り登山道

距離:1100m(所要時間約40分)

禅林寺から金華山の西側の尾根を登る登山道です。道は比較的険しく傾斜も急であるが難所は安全に登れるように階段等整備されています。アラカシやヒノキなど見られます。

馬の背登山道

距離:1100m(所要時間約30分)

めい想の小径の旧稲葉神社跡地から金華山北西側尾根を頂上に向かって直登する登山道です。金華山登山道の中で、もっとも険しく健脚向きです。土壌は岩盤で立木の根が露出し、その根によって登山道が保たれている箇所もあります。

ロープウェーを利用する場合

岐阜公園にある山麓駅と金華山の山頂駅を約4分で行き来することが可能です。

金華山ロープウェーは1955年4月に開業しました。

2個の搬器が山麓駅と山頂駅間を交互に往復する三線交走式のロープウェーです。

現在のゴンドラは6代目になるそうです。

四季折々の風景を堪能しながら、空中散歩が楽しめます。

金華山周辺の駐車場について

ロープウェーに近い順に駐車場を調べると以下のようになります。

1)大宮町駐車場・・・大型バス、身障者専用駐車場(一般車は駐車できない可能性大)

2)堤外駐車場・・・有料143台駐車可能(1日 310円)

3)堤外第二駐車場・・・有料36台駐車可能(1日 310円)

4)鏡岩緑地駐車場・・・無料280台程度駐車可能

大宮町駐車場が一番近いのですが、身障者専用となっているため、駐車状況により一般車は駐車できない可能性があります。

よって、堤外駐車場が収容台数、ロープウェーまでの距離を考えると最適です。

一方通行が多いため、注意してください。

金華山」山頂の見どころ

金華山山頂での見どころ・パワースポットを紹介します。

  • 岐阜城
  • 金華山大金龍大神
  • 金華山御嶽神社
  • 金華山閻魔堂
  • 展望レストラン「ル・ポンドゥ・シェル」
  • 金華山リス村

岐阜城(ぎふじょう)

岐阜城跡は、金華山(稲葉山)に築かれた山城で、稲葉山城、井口城とも呼ばれていました。

戦国時代に美濃国を治めた斎藤氏の居城であるとともに、織田信長が天下統一の拠点とした城としてもよく知られています。

建仁年間(1201~1203年)頃に二階堂氏が最初に城を築いていたと言われていますが、実態は不明である。

大永5年(1525)頃、ここが守護方と長井氏が争いの舞台になったため、少なくともこのころには城として利用されていたと考えれれています。

天文5年(1536)には、一介の油商人から身を興し、やがて美濃の国主になるまで上り詰め、戦国の風雲児と呼ばれた斎藤道三が拠点としていたことが分かり、以後は義龍・龍興と、斎藤氏3代の居城となりました。

永禄10年(1567)、斎藤氏を追放し美濃を攻略した信長が城を大きく改修を加え、町の名を岐阜と改めました。

その後、慶長5年(1600)の関ケ原合戦の前哨戦で落城し、廃城となります。信長入城後の改修には、石垣のほか巨石列を用いるなど、その構築技術に近世的な要素がうかがえます。

また、ポルトガル宣教師ルイス・フロイスや、京都の公家である山科言継等の訪問記録が残されている点、山麓では貴重な庭園遺構群が見るかっている点も岐阜城跡の特徴と言えます。

岐阜城の城域は、ほぼ現在の金華山国有林の範囲に相当し、山麓居館を含めた約209ヘクタールが史跡指定範囲となります。

居館跡や自然地形も含めて、山全体が城として機能していたことが分かります。

信長は城の普請を進め、岐阜城は戦国時代から安土桃山時代にかけて織田家の重要な城として機能しました。

岐阜城の建築様式と特徴は、平山城と呼ばれる形式の城郭です。

城の中心には本丸があり、本丸を囲むように二重・三重の曲輪(くるわ)が配置されています。

また、岐阜城は天守閣を備えており、その姿勢から「岐阜城天守」とも呼ばれます。

現在、天守閣は再建されたものであり、内部には展示室や資料館が設けられています。

戦国時代からの原型を残しているわけではありません。

城は幾度かの戦乱や火災によって被害を受け、明治時代には天守閣が解体されてしまいました。

しかし、1956年になって市民の運動により再建が進められ、1960年に天守閣が再建されました。

現在の岐阜城は、その再建された姿を見ることができます。

歴史的な価値や建築美に加えて、周囲を取り囲む美しい自然環境が魅力の一つです。

城内には資料館や展示室があり、歴史や城の関連展示を楽しむことができます。

また、桜の名所としても知られており、春には桜の花が咲き誇り、訪れる人々を魅了します。

金華山大金龍大神(だいこんりゅうだいしん)

大金龍大神の神名は「大金龍」(だいこんりゅう)とも呼ばれ、金運や財運を司る神として崇拝されています。

その由来や起源は諸説ありますが、一般的には中国の龍神信仰が日本に伝わり、そこから独自の形で祀られるようになったと考えられています。

大金龍大神は、金運や商売繁盛、財運向上などの願いを持つ人々に信仰されています。

そのため、日本各地には大金龍大神を祀った神社や祠が存在します。

具体的な神社名は地域によって異なりますが、例えば福岡県の「大金龍神社」や静岡県の「大金龍神宮」などがあります。

大金龍大神に対する信仰は、金運や財運の向上を願うことが中心です。

商売や事業の成功、繁盛、富貴、幸運などに関する願い事を持つ人々が、大金龍大神に祈願を行います。

神社や神宮では、参拝者はお賽銭を奉納し、手を合わせて祈りを捧げることが一般的です。

大金龍大神は、龍(りゅう)の姿で表現されることがあります。

龍は古来より中国や日本の神話や伝承に登場し、神聖な存在とされています。

龍は神秘的で力強く、天や自然の力を象徴しており、金運や繁栄の象徴としても広く信仰されています。

金華山御嶽神社(みたけじんじゃ)

金華山御嶽神社は、古くから金華山の山岳信仰の中心的な存在とされています。

神社の創建時期は正確には分かっていませんが、金華山の霊峰である妙音山(みょうおんざん)に奉斎されていると伝えられています。

山岳信仰の対象となる神々を祀る神社として、多くの人々に信仰されてきました。

金華山御嶽神社の主祭神は、主に妙音山の神々を祀っています。

妙音山には、山頂に金華山神社があり、その他にも金華山御嶽神社や金華山権現社などの神社や祠が点在しています。

具体的な祭神の名前や信仰内容は、地域や時代によって異なる場合があります。

金華山御嶽神社の境内には、神社の本殿や摂社があります。

境内は自然に囲まれた静かな場所であり、山岳信仰の雰囲気を感じることができます。

また、年中行事や季節の祭りなどが執り行われ、その際には神事や祭礼が行われます。

特に、春や秋には多くの参拝客や信仰者で賑わいます。

金華山御嶽神社は、金華山の豊かな自然環境と神聖な雰囲気が相まって、パワースポットとしても知られています。

参拝者は、自然の中で心を清め、願い事や祈りを捧げることができます。

また、周辺には山岳信仰に関連する霊場やパワースポットも点在しており、金華山全体がスピリチュアルな体験を求める人々にとって魅力的な場所となっています。

金華山閻魔堂(えんまどう)

金華山閻魔堂は、平安時代に創建されたと伝えられています。

閻魔堂とは、仏教において地獄の王である閻魔王(えんまおう)を祀る堂のことを指します。

金華山閻魔堂は、山岳信仰と仏教信仰が融合した信仰の場として栄えました。

閻魔王は、仏教の教えにおいて地獄の王とされ、生前の人々の善悪を審判する役割を持っています。

閻魔堂では、閻魔王を祀ることによって、来世の救済や罪の浄化を願うことが一般的です。

閻魔王を信仰することで、罪業を償い、幸福や救済を得ることが期待されます。

金華山閻魔堂は、木造の堂舎であり、伝統的な日本の寺院建築の特徴を持っています。

閻魔堂の中には、閻魔王を表す彫刻や絵画が配置されており、訪れる人々は参拝や祈りを行います。

また、周辺には地獄を模した景観や彫刻があり、来世の救済を思い起こさせる独特の雰囲気が漂っています。

金華山閻魔堂を訪れる参拝者は、閻魔王に対して敬意を表し、罪の浄化や幸福を願うことが一般的です。

参拝の際には、お賽銭を奉納し、手を合わせて祈りを捧げることが一般的な行為です。

また、閻魔堂では定期的に法要や供養などの宗教行事も行われ、信仰者や参拝客が集まります。

展望レストラン「ル・ポンドゥ・シェル」

金華山リス村

金華山リス村では、自然環境に配慮した広大な敷地内で、さまざまな種類のリスたちとの触れ合いができます。

リスたちは広いエリアで自由に遊び回り、訪れる人々との交流を楽しんでいます。

エサやり体験などを通じて、リスたちとのふれあいを楽しむことができます。

金華山リス村では、リスたちの生態や習性について学ぶこともできます。

展示や案内板によって、リスの生態や飼育に関する情報を学ぶことができます。

また、専門のスタッフがリスについての解説や説明を行うこともあります。

金華山リス村では、リスたちとのふれあい以外にもさまざまなアクティビティやイベントが開催されます。

例えば、ワークショップやクラフト体験、ミニゲームなどが楽しめる場合もあります。

季節によっては、イベントやイルミネーションも行われることがあります。

金華山リス村には、リスグッズやお土産を販売するショップがあります。

リスのぬいぐるみやグッズ、地元の特産品などが取り扱われています。

岐阜駅周辺・金華山周辺について

岐阜駅周辺・金華山周辺の見どころ、パワースポットを紹介します。

  • 黄金の織田信長公像
  • 金神社
  • 正法寺の大佛殿
  • 伊奈波神社

岐阜駅にある「黄金の織田信長公像」

岐阜市制120周年を記念して、市民の寄付によりJR岐阜駅北口広場前に建立されました。

台座までの高さは約8m、像の高さは約3mで金箔3層張り。

マントを羽織り、右手に種子島(鉄砲)、左手に西洋兜を持ち、まっすぐ前を見つめる姿は、常に時代の最先端を歩き「変革」を目指した信長公の姿を象徴しています。

「ぎふ信長まつり」におけるキムタクフィーバーも落ち着き、普段の岐阜駅に戻りました。

金運パワースポット「金神社」

金神社(こがねじんじゃ)は岐阜駅の北側エリアに位置し、古くから金運、財運に利益があるとされています。

金の鳥居が印象的な神社です。

正法寺の大佛殿(だいぶつでん)

伊奈波神社(いなばじんじゃ)

金華山から「名もなき池」(通称:モネの池)

「1999年、池は雑草が生い茂っていたが、近くで花苗の生産販売をする「フラワーパーク板取」の経営者、小林佐富朗が除草を行い、スイレンやコウホネを植えた。また、池で泳ぐコイは地元住民が自宅で飼えなくなって持ち込んだものである。

観光目的で作られた池では無く、偶然が積み重なってクロード・モネの後期の睡蓮連作群を彷彿とさせる池となった。

池の大きさはテニスコートよりも少し大きい程度である。

また、常に湧き水が流れ込み、湧水池となっている。このため年間水温がおよそ14°Cで一定となっており、冬に咲いた花は枯れにくくコウホネが冬に咲くと、黄色→オレンジ色→赤色と色が変化する。

また、日差しの傾き、池の水量によって池の水の色も変化する。

池の透明度が高い理由は、高賀山の山体が流紋岩類で構成されており、そこからの湧き水には養分が含まれず、微生物が育たないことが原因である。」

Wikipediaより

 「モネの池」は関市の根道神社の敷地内にあり、昭和50年代に水田の水を引くために整備された池である。

水田用の池のため、地元住民や観光客にはあまり知られておらず、「名もなき池」と名付けられたという。

2015年頃にテレビで放映され「モネの池」として、たくさんの人が押し寄せるようになりました。

モネの池の見ごろは、睡蓮の花が咲く5月下旬から10月中旬です。 「水蓮の花」の最盛期は6月~7月、6月には「あじさい」も咲き、両方楽しむことができます。

施設名:名もなき池(通称:モネの池)

住所:岐阜県関市板取448

電話:0581-57-2111 (板取事務所)

駐車場:第1駐車場~第4駐車場まで各所に有り160台程度

高賀神水庵(こうがしんすいあん)

平成8年7月、地元高賀神社氏子、崇敬者らが高賀神社参道の入口に位置する谷戸地内にあった大鳥居の手水用として、地下約50mの井戸を掘削したのがはじまりである。

当初からこの水を飲んだ多くの人から非常に飲みやすく美味しいと反響が大きく、平成9年6月、愛知工業大学土質工学教授大根義男氏によって「高賀山周辺は古生代から中生代にできた地質で、掘削された付近は1億から1億5千万年前の砂岩層である。その砂岩層が2~3本の断層で隔離されている上に、砂岩層の上は水を通しやすいので、このころの水がそのまま閉じこめられていて、汲み出された可能性が高い。」と説明がなされている。

高賀の氏子は、この水が高賀神社の境内(高賀神社遥拝所)より湧き出た水であることから、神様の御神徳によるものであり、水は御神威の表徴そのものでもあられるので、この水を真に求め必要とされる人には御神水として授与するという考えに立ちご奉仕することにした。

岐阜県関市洞戸高賀 神水庵より

シドニ-オリンピックマラソン金メダリスト高橋尚子選手が給水に使用していたと報じられ、有名となりました。

硬度18程度の超軟水の水で弱アルカリ性となっている神水。

飲みやすく、腸整作用があり、ダイエット効果が有るとか?

場所:岐阜県関市洞戸高賀658−4

神水庵連絡先: 岐阜県関市洞戸高賀(神水庵) TEL 0581-58-8100

まとめ

前回は滋賀県竹生島を訪れました。

今回、レイラインを巡る旅の第二回目となります。

岐阜県金華山周辺を巡り、改めてパワースポットの多さ、見どころ満載であることを知りました。

金華山頂上には象徴的な「岐阜城」をはじめ、小さいですがいくつかの神社、頂上からの眺めは格別なものでした。

金華山から足を伸ばして、「金神社」「伊奈波神社」「正法寺の大佛殿」さらに関市には「モネの池」「高賀神水庵」とどれも思い出深いものとなりました。

岐阜県に訪れた際には参考にしてください。

良いパワーをいただけると信じています。

次回の「レイラインを巡る旅」はどこになるか、楽しみにしていてください。