岡山県の名所・神社を巡り、個人的におすすめのパワースポットを紹介したいと思います。
今回、第二回目(その2)として、岡山市にある吉備津神社と吉備津彦神社を紹介します。
桃太郎伝説ゆかりの神社として有名な【吉備津神社】
吉備津神社について
第10代崇神天皇の御代に、四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命を祭神とし、古来吉備地方の総氏神として崇敬されている。
現在の本殿及び拝殿は、応永32年(1425年)に完成。
本殿は、比翼入母屋造または吉備津造りとよばれる。
独創的様式の大建築で、拝殿と共に国宝に指定されている。
また、延文2年(1357年)再建の南随神門と天文12年(1543年)再建の北随神門は、共に国の重要文化財、鳴釜神事の行われる御釜殿は慶長17年(1612年)の建築で岡山県重要文化財に指定されている。
比翼入母屋(ひよくいりもや)造りの本殿と拝殿が国宝に指定されている吉備津神社。
境内には全長398mに及ぶ美しい回廊や釜の鳴る音で吉凶をうらなう鳴釜神事が行われている御釜殿などがあります。
さらに、この神社の祭神・吉備津彦命は、みなさんもよくご存じの桃太郎のモデルとして有名です。
「悪事を働いて人々を困らせた温羅(うら)という鬼を、朝廷から派遣された吉備津彦命が犬飼部の犬飼健命、鳥飼部の留玉臣命、猿飼部の楽々森彦命という3人の部下を率いて退治した。」これが「吉備津彦命の温羅退治」神話のあらましですが、桃太郎の鬼退治の昔話と共通点が多いうえ、吉備路一帯には温羅が城を構えたという鬼ノ城、吉備津彦命の矢と温羅の投げた岩がからみ合い落ちたとされる場所にある矢喰宮、鯉に姿を変えた温羅が鵜と化した吉備津彦命に捕らえられた鯉喰神社といったゆかりの史跡も数多く残されていること、吉備団子や桃が古くから岡山の名産品であることから、桃太郎伝説のルーツといわれています。
また、吉備路はかつて吉備大国の中心地として栄え、以来数々の歴史の舞台となってきました。
全国で4番目の大きさを誇る造山古墳、総高34.3mの五重塔が美しい備中国分寺、そして、羽柴秀吉の奇策・水攻めで有名な高松城址なだ、古代から中世・近世にいたるいくつもの史跡をみることができます。
「古代吉備国・桃太郎伝説を訪ねて」は、この吉備路一帯に点在するスポットを訪ね、歴史ロマンを体感するルートです。
吉備津神社より
矢置岩の由来
社伝によれば当社の西北八キロの新山に温羅といふ鬼神あり 凶暴にして庶民を苦しむ。
大吉備津彦命は「吉備の中山」に陣取り鬼神と互に弓矢射るに両方の矢空中に衝突して落つ。
そこに矢喰宮(岡山市北区高塚に現存)あり。
また中山主神は鬼神の矢を空中に奪取す。
当社本殿の中に祀る矢取明神はすなはちそれなり。
この戦のとき大吉備津彦命その矢をこの岩の上に置き給いしにより矢置岩と呼ぶと。
旧記によれば中古より箭祭の神事あり。
願主は櫻羽矢または白羽の矢を献る。
神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る。
のちその矢を御藏矢神社に納むる例なりきと。
この神事いつしか中絶せしが昭和三十五年岡山県弓道連盟の奉仕により復活され毎年正月三日ここに矢立の神事を斎行することとなれり。
吉備津神社より
幻の御神刀で話題の【吉備津彦神社】
吉備津彦神社について
ここ吉備地方には、大和朝廷が四道将軍として派遣した吉備津彦命(五十世狹芹彦命)が温羅を退治した伝説が語り継がれ、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
吉備津彦神社は備前国の一宮で、吉備津彦命を祀る本殿は岡山藩主池田綱政によって1697年に再建され、岡山県の重要文化財に指定されています。
境内には、退治された温羅を、今では命とともに岡山を守る神として祀った温羅神社をはじめ、命に従った武人などを祀る小さな社が多数あります。
敷地内には、背後にそびえる「吉備の中山」の山頂に通じる登山道があり、命の墓とされる前方後円墳の中山茶臼山古墳(宮内庁管理)など、古代の遺跡を巡ることができる。
この神社は、社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、古くは備前国の一宮として崇敬を集めてきました。
十六世紀後半に、金川城主松田氏に迫害され、社殿は焼き払われましたが、元禄十年(1697年)に再建されました。
しかし昭和五年、本殿・随神門・宝物殿を残して焼失し、現在の拝殿等は、昭和十一年に建てられたものです。
「本殿」は、桁行三間・梁間二間、屋根は、流造り・桧皮葺の流麗な建築です。
元禄時代の建立で、県指定重要文化財となっています。
吉備津彦神社より
幻の御神刀について
備前刀の聖地、故郷である備前国。平安時代の和歌集『古今和歌集』には「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」とあり、古来より鉄の産地として名を馳せました。
この吉備の中山東麓に鎮座するのが備前一宮の吉備津彦神社です。
「桃太郎」のモデルといわれる彦五十狭芹彦命 (大吉備津日子命)や、鉱山や金属の神・金山彦命を祀り、備前国の製鉄や作刀を見守り続けてきました。
また、古来より武門武将の崇敬が篤い神社で、池田家をはじめとする岡山城主たちを含む、多くの人々の畏敬を集めました。
社伝によると、江戸時代延宝五年に、池田恒興(輝武命)、その子・池田輝政(火星照命)が相殿に祀られ、元禄10年(1697)には6代目城主の綱政によって社殿が再建されました。
そのため、吉備津彦神社には岡山城主に関連する御神宝が多く伝わっています。
この度、岡山城改修工事中、収蔵資料を調査した結果、岡山の歴史を考える上で歴史的価値の高い御神刀の存在を確認いたしました。
本展では、吉備津彦神社の御協力のもと、特別観覧として、確認された御神刀をはじめ家次、國行など岡山城主ゆかりの刀や、長光などの御神刀を展示いたします。
吉備津彦神社ホームページより
まとめ
第一回目は倉敷市美観地区を中心に倉敷駅周辺を散策しました。
今回、第二回目は吉備津神社・吉備津彦神社を巡り、桃太郎伝説との関係について、いろいろと勉強になりました。
第三回目は温羅伝説の残る鬼ノ城・パワースポットとして最上稲荷神社を巡り、その歴史に迫りたいと思います。