茨城県へ行った際に、合格祈願で有名な大生郷天満宮を知りました。
子供の志望大学合格のために、やれることは何でも行おうと思い、お参りしてきました。
あまり知られていなく、穴場のパワースポットです。
受験生がいるご家庭で茨城県周辺へ訪れた際には、ぜひ行かれることをお勧めします。
また、大生郷天満宮の裏手には七福神(弁財天・大黒天・恵比寿)の三天神様が祀られています。
ぜひ、足を運んでください。
ご利益があるかもしれません。
日本三大天神といえば
太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
公式ホームページ:太宰府天満宮 (dazaifutenmangu.or.jp)
北野天満宮(京都府京都市上京区)
公式ホームページ:北野天満宮 (kitanotenmangu.or.jp)
上記2つの神社は必ず入っていますが、3つ目はいろいろな天満宮が上がっています。
防府天満宮(山口県防府市)
公式ホームページ:日本最初の天神さま| 防府天満宮 (hofutenmangu.com)大阪天満宮(大阪府大阪市北区)
公式ホームページ:大阪天満宮 (osakatemmangu.or.jp)谷保天満宮(東京都国立市)
公式ホームページ:交通安全発祥と学業の神 谷保天満宮 (yabotenmangu.or.jp)大生郷天満宮(茨城県常総市)
公式ホームページ:大生郷天満宮 茨城県常総市 (tenmangu.or.jp)
「防府天満宮」が有力候補であるが、いろいろ意見が分かれるようです。
東京(関東)三大天満宮については下記ブログも参考にしてください。
大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)について
大生郷天満宮は、延長七年(九ニ九)右大臣菅原道真の第三子三郎景行の創建とされる。
貴族の手による、また遺骨を祭祀していることから、数多い天神社の中でも日本三天神の一つとされ、「学問の神様」として広く知られている。
道真が九州大宰府に憤死(延喜三年-九○三)して後、景行は役人として常陸国に赴任。
延長四年(九二六)現在の真壁町羽島に遺骨を祭祀したが、延長七年家臣数人とともにこの地に足をとどめ、飯沼藩の景勝地でもあった高台の現在地に道真を祀った。
その後、当地南方に天満宮の守護のため「安楽寺」(現在の正覚山安楽寺-元三大師)を建立し祈願時とした。
東方一キロの「三郎天神社」は後世三郎景行の供養のために建てられたものである。
本殿・拝殿等は天正四年(一五七六)の兵火のために焼失。
その後、下妻城主多賀谷氏の援助により再興されたが、大正八年(一九一九)再度の火災により社殿は焼失し、往時の姿を偲ぶことはできない。
大生郷天満宮には、「御廟天神画」(県指定文化財)、「神酒天神画」(同)、「北野天神縁起絵巻」(同)、「三十六歌仙絵」(同・多賀谷氏寄進とされる)、あるいは画幅「十一面観音像」(市指定文化財)などの貴重な文化財が保存されている。
初詣、正月二十五日の「初天神」あるいは八月一日の「八朔祭」には大勢の参拝客があり、境内は大変な賑わいをみせている。
常総市観光協会より
さざれ石について
さざれ石は、国家「君が代」に詠まれている事で、その名を知れ渡っております。
滋賀県と岐阜県境の伊吹山の山麓が主な産地です。
学名を石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)といいます。
これは、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解され、その時に生じた粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が、少しづつ細石を凝結して巌(いわお)となったもの。
その形状はまさに、強固団結の精神を意味し、家庭も企業も心を合わせれば、絆が深くなり、千代に八千代に末長い繁栄と幸福を呼ぶ、めでたい石であります。
大生郷天満宮より
天満宮と牛ついて
天満宮では牛を巻属(神に仕える動物)とする。
その理由は御祭神(菅原道真公)の御誕生日が承和十二(八四五)年六月二十五日、すなわち丑年の丑日であったからと伝わる。
又、一つには、大宰府で薨去された道真公の御遺骸を近くの寺に葬ろうとし、その御遺骸を乗せた車を引いていた牛が途中で倒れ、どうしても進むことが出来なかった。
この事は、この所に葬ってほしいと言う、道真公自身の心情を、牛を通じてお示しになられたという事で、その所を墓所と定め、御遺骸を葬り奉った。
すなわち、現在の太宰府天満宮が鎮座まします所であるなど、諸説はあるが、道真公と牛との関わりにより、天満宮では、牛を御神牛と仰ぐ由縁である。
大生郷天満宮より
弁財天・大黒天・恵比寿について
弁財天
大黒天
恵比寿
菅原道真公 御廟所
まとめ
日本三大天満宮に名乗りを上げるほど、由緒ある天満宮であることが分かります。
周りに民家があり、ひっそりと佇んでいます。
穴場的なパワースポットであることに、間違いありません。
ぜひ、気になった方は訪れてみてください。