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【山口県観光スポットその3】防府市の防府天満宮・山口市の瑠璃光寺・周南市の山崎八幡宮を巡る

第三回目(その3)として、防府市にある防府天満宮とその周辺、山口市にある瑠璃光寺とその周辺、周南市にある山崎八幡宮を紹介します。

日本最初の天神さまで知られる防府天満宮

日本最初の天神さまで知られる防府天満宮は、三大天満宮のひとつとして名前があげられるほど全国的にも有名な天満宮です。

防府天満宮について

防府天満宮は日本で最初に創建された天神さまです。

道真公は、九州大宰府への西下の途中、時の周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に御着船になり、「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」(解釈:この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。願わくはここ松崎の地に住まいを構え「無実の知らせ」を待っていたい。)と願い九州へと旅立たれました。

大宰府にて薨去されたちょうどその日、防府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせました。

国司を始め里人たちは道真公の御霊魂がひかり雲となって「此地」に帰ってこられたと悟り、翌年の延喜4年(904)道真公の願われた通り、御霊魂の「居」を「この所」である松崎の地に建立して「松崎の社」と号しました。

道真公をお祀りした神社は全国に約1万2千社ありますが、当宮創建をもって「扶桑菅廟最初」日本で最初に創建された天神さまと称しています。 

防府天満宮より

日本の三大天満宮のひとつとして名前があげられる防府天満宮です。

日本の三大天満宮については下記、関連記事を参照してください。

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五重塔で有名な瑠璃光寺

瑠璃光寺五重塔について

この塔は、嘉吉二年(1442)に建立されたもので、室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものである。

高さは31.2メートルで桧皮葺独特の軽快さを見せており、軒の出は深くなっている。

塔の身部は上層にゆくにつれて思い切って間をつめているので、塔の胴部が細く見えてすっきりした感じである。

これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には縁勾欄があるので安定感が強い。

鎌倉時代から和様、禅宗様、大仏様建築様式が行われているが、この塔は、大体和様を主体としていて、わずか一部に禅宗様の手法が見られる。

室町時代のものとしては、装飾の少ない雄健なものである。

この塔は大内義弘の菩提をとむらうためその弟の盛見がこの地にあった香積寺の境内に建立したものであるが、江戸時代の初めに香積寺は萩に移り、その後に瑠璃光寺が移ってきた。

この後、「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれ、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並ぶ、日本三大塔のひとつにも数えられている。

瑠璃光寺より

現在、瑠璃光寺五重塔は改修工事を行っています。(令和5年9月情報)

令和5年1月~令和8年3月までの予定だそうです。

残念ながら今回はその姿を見ることは出来ませんでしたが、また、機会があれば見てみたいものです。

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周南市に行ったら訪れたい山崎八幡宮

山崎八幡宮について

奈良時代の和銅2年(709年)、周南市富田河内にある神室山(みむろやま)に神が降臨され、これを奉斎したことが当社の起原という。

また一説には、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を祀ったとも言う。

この後、山崎の地に遷し、「江宮」と称した。

平安時代の神仏習合時代には、真言宗の荘宮寺と習合し、「庄寺八幡宮」と呼ばれた。

明治維新を迎えるにあたり、元治元年(1864)「山﨑八幡宮」と御社名を改めた。

その間平安時代の大同元年(806) と、江戸時代の宝暦7年(1757)の再度の火災で、御社殿.宝物・古文書等全て焼失している。

現在の社殿は、明治9年(1876)に再建されたものである。

明治4年(1871)に郷社となり、昭和5年(1930)県社に昇格した。

境内の亀朕碑には、次の由緒がある。

古くは社の前は海辺であった。

虎の形をした洲があり、これを「虎の洲」と呼んだ。

又西方には文水(あやのみず)という霊水が湧き、宝亀年間(770~)天使が来てその水を酌み、祭を行ったという歌がある。

「酌みて知る江宮浜の文水清き流れの千世の行末」とあり、鎌倉時代の寛元年間(1243~)、再び天使が来て祭りを行った。

その時の歌は、「周防なる江宮浜の虎の洲に藻を刈る海人の袖やほすらむ」と詠んでいる。

室町時代の天文8年(1539)、領主の陶弘護や、隆房(晴賢)は、神前に扁額を寄進し戦勝を祈願している。

江戸時代には、徳山藩主の御祈願所として、歴代の藩主が社参して崇敬した。

『防長寺社由来』には、富田一二畑の惣鎮守の社で、西国7社明神と言い伝えられた。

秋祭には、「神事能楽」が奉納された記録がある。

その後神事能は止み、代りに藩主が大小3つの山車(だし)(引山)を奉納するようになった。

この山車による神事は、今も「本山神事」として続けられており、平成22年5月18日に山口県の指定無形民俗文化財に指定された。

また宮の馬場では、「流鏑馬」が行われていた。

この頃の徳山藩では、年中行事として連歌を興行した、春正月に藩邸内で、秋は8月八幡宮へ奉納するのが恒例であった。

現在市の文化財に指定された『連歌集』には、延宝9年(1681)より明治5年(1872)迄、49年分が保存されている。

連歌の後は『和歌百首奉納祭』に代りこれは終戦年(1945)まで毎年続けて奉納された。山崎八幡宮ホームページより

まとめ

第三回目(その3)で紹介しているところは

防府市
  1. 防府天満宮
  2. 周防国分寺
山口市
  1. 瑠璃光寺
  2. 常栄寺雪舟庭
  3. 山口大神宮
  4. 山口ザビエル記念聖堂
周南市
  1. 山崎八幡宮

となります。

それぞれ、歴史を感じる神社や名所となります。

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